桃華 1
キーンコーンカーンコーン
授業のチャイムがなる。
桃華はその音と同時に起きた。終業の時間である。
夏休み中、ずっとバイトを入れた弊害か、9月中旬になった今でも疲れは取れない。
しかし、中学、高校をずっと寝て過ごしてきている桃華にとって、終業のチャイムは通学中に聞くクリープハイプよりも聞いた物だし、チャイムと同時に起きることのプロになっていた。
バイトはふとした理由で始めた。
親からバイトの経験をしときなと勧められたのも理由の一つだが、単純に高校があまり自分に合ってなかったという部分が大きい。
外交官の親の付き添いでアメリカ、メキシコ、ドイツ、中国を転々とした桃華にとって、学校を変わるのは当たり前の事だったし、中国から日本に来る時に手続き上の選択で一個下の学年に入っているという背景は更に友達を作りづらくした。二浪した人間が友達を作り辛いというのと同じである。
親がよく転勤をする、という状況は桃華を人として強くした。桃華は人よりも状況判断をする能力に長けていたし、でしゃばるという事もしなくなった。そして何より彼女は英語、中国語、日本語の3カ国語を話せるトリリンガルになった。勿論、大学の研究書が読めたり、論語について孔子レベルの議論が出来る、という訳ではなかったが、日常生活に苦労しない程度には話せるようにはなっている。それこそ、通学中に聞くクリープハイプなんかよりも聞くのだから自然な話かもしれない。残念ながら、滞在期間が短かったドイツだけは、ドイツ語を話せるまでにはいかなかったが、お酒の経験もバッチリしている。
そんな「おとな」な桃華にとって、高校の周りの友達が日々お洒落なカフェの話をしたり、恋バナをしたりするのはどうも好かなかった。嫌いという段階までには行かない物の、関心の範疇に入るという事はなかった。
だからバイトをして新しい出会いを求めたのかもしれない。彼女はそう思っている。
桃華は椅子の背もたれを使って背伸びして、通学カバンを肩に掛けた。彼女の高校は特殊で6限後にSHRはない。
「バイト、だるいなぁ」
出会いを求めて始めたバイトだったが、高校とは違って集団よりも個人を重視するバイトの世界では思ったような出会いは待っていなかった。大学と同じで自分から動かないと出会いはないのである。
期待ハズレになったのだからバイトはだるい物でしかない。実際、バイトというのはみんながやりたくない仕事を低賃金でやらなくてはいけないという言い方も可能なので、やってて気分の良くなる物では決してない。
彼女はカバンを持って高校を出て、バイトに向かった。友人と電車に乗りながら。
恋愛やカフェの話を好かない彼女でも電車の中では友人の話に付き合うのだ。高校生とは矛盾を孕んだ年頃である。
一緒に帰っているのは友人の桃香である。
初めて自己紹介をした時、ももかという名前が一緒だねとなって急に距離が縮まった。
そんな彼女ともはや3ヶ月。
一緒に帰らなかった日はない。
「桃華は気になっている人とか居ないの?」
恋愛の話を好かない桃華の性格を理解している桃香ではあったが、珍しく恋愛の話をしてきた。
人間関係に於いて3ヶ月というのはちょうどダレて来るもので、会話がネタギレだったのかもしれない。
「うーん、気になる人って言われてもなぁ、バイトでも高校でもあんまり話さないからなぁ、私」
Instagramを開きながら、桃華は答える。
実際、桃華のInstagramのフォロワーは8割女子だ。Instagramは知人としか繋がらないという考えの下生きているので、Instagramで知り合うというのも難しい。
「バイトの駅だ、じゃあね」
スマホの電源を落として、電車を降りる。
「恋愛かぁ、そうは上手くはいかないよなぁ」
少し大人びているとは言え、桃華だって年頃の女の子だ。恋愛の話をするのは嫌いでも、恋愛には興味あるのである。
バイトに向かいながら考える。
イノチミジカシコイセヨオトメを聴きながら。
さとる 1
1/12、日本にしては珍しく雪が降った。
夜の商店街に明かりが灯る。
蛍光灯の白色は雪の透明感のある白とは違って、熱を帯びている。
「違うんだよなぁ」
肩に積もっては溶ける冷たい雪を払いながら
智は雲の広がる空を見た。
同年1/10、智の推していたアイドルが離婚した。
理由は浮気。離婚した次の日にその浮気した男と籍を入れた。
智はこのアイドルが舞台で演じる純粋無垢なところを推していたので、結婚してた事も許せなかったし、浮気したという事は尚更許せなかった。
そんな智には好きな子が居る。
大学に入ってから女子の女の字もない彼の恋愛遍歴では勿論手に入れるまでの道のりが遠すぎるが、それでも彼は気になっていた。
一目惚れ、だった。
智の推しているアイドルに似ている、ただそれだけのこと。
一目惚れなんて顔目的の恋愛だろという非難が出てくるのは当然の話だが、年齢=彼女がいない歴である彼にとって、恋愛は所詮、可愛い子と仲良くしたい。というそれくらいの物でしかない。
知り合った経緯は飲食店バイト。
ふとした会話がきっかけだった。
智が落としたジョッキを彼女が拾ってくれた時、お礼を言った後の
「いえいえ、とんでもないです。」
が彼に響いたのだ。
馴れ初めを思い出しながら、彼は商店街を歩いて家に向かう。
冷たい風は吹いていたが、雪は上がりそうだ。
完璧な人間
サヤカは周りが信じられなかった。
過去に何かトラウマがあった訳ではない。生まれつき周りを信じるという事を知らなかった。
医者にもかかった。医者は別に異常はない、と言うだけだった。
人に優しくするということを試してみた。
しかし優しくしても周りを信じる事はできなかった。
恋人を作ろうとしてみた。
しかし恋人を作っても周りを信じる事はできなかった。
周りの死を体験してみた。
しかし周りの死を体験しても、周りを信じる事はできなかった。
サヤカは病気なのだろうか。
しかし医者は異常はないと言ったはずだ。
「失敗だな」
遠い向こうで声がした。
サヤカは意識を失った。
目の前が真っ黒になった。
遠い向こうでは何体ものサヤカが意識を失っていた。
完璧な人間ができるのは、いつだろうか。
白葉 1
春。桜、進学就職、そして新たな出会いの季節。
白葉は今年で高1になった。
学校は家の近くの都立高校に進学。私立に進学した姉の影響で私立に進学したい気持ちがあったが、親に学費の関係で反対され、最終的に今の高校に進学することになった。
中学校3年生までは「しりつ」という言葉にオシャレさを中学生なりに感じ、一時は駄々をこねまくった白葉だったが、最終的に都立に進学した事に後悔はない。
「都立」とは言いながらもバイトは許されているし、制服もそれなりにオシャレで高校の雰囲気も自分に合っていると感じられているからだ。住めば都、と言った所だろうか。
そんな彼女が始めたバイトはカフェの店員バイトである。オシャレに憧れる彼女らしいといえば彼女らしいバイトなのだが、個人経営のカフェなので、シフトに自由が利かないのが玉に瑕だと感じている。
今日も本当は20時上がりで出していたが、店長に泣く泣く頼まれ、21時30分まで働かされた彼女はヘトヘトになって帰り道を歩いていた。
明るく、接客も丁寧な彼女ではあったが、まだ高校1年生。店長に「お願い!」と頼まれたら、「この後用事があるので。」とか「契約違反ですよ。」と強く言える程社会に揉まれた事がなかったのだ。それ以上に彼女は優しかった。心が美しかった。
Instagramを開いてストーリーをタップする。みんなオシャレな店とか遊園地の画像とかを上げている中、自分はバイト三昧。カフェバイトとは言いながらも時給は最低賃金スレスレで働いているので、お金は貯まらないのに、時間だけは奪われていく。しかしそれが「幸せ」かどうかを考えられる程、彼女は人生経験を積んでいなかった。
「みんな、色んなとこ行ってて良いなぁ、私もプリとかディズニーとか行きたいなぁ」
街灯が照らす商店街を家に向かって歩くのだった。